当時の近代歴史の授業は、わたしにとっていままで学んだこととは違う視点で少々消化不良気味でした。
ファーイストアジア歴史の教授とたくさん話したのを今でも記憶しています。
極東の歴史に大変詳しくオープンマインドで冷静な視点をもつ先生でした。いつもオフィスのドアは全開で、「質問があれば、いつでもいらっしゃい」と廊下の黒板に書いてあったのを憶えています。先生から授業は2クラスだけとりましたが、その後もよくオフィスでいろいろ意見交換した思い出があります。
歴史は事実としてあり、解釈によってさまざまであるということ。そして、それはもしかしたらこれから将来でてくる文書や遺産によってまた新たな解釈が生まれてくるかもしれないということ。そして新しい世代は、その歴史から学び新たな友好的関係をつくることができること。などなど。
76年前の戦争の原因、理由は学んでもその結果や市民生活にどのような影響があったかということはもちろん詳しくアメリカでの教科書にはありませんでした。
事実は事実として何が起こったのかをみんなに知ってもらいたいと思いから、投下された広島・長崎の状況を手作りの壁新聞のようにして大学の隅っこで数日展示させてもらったことがあります。大学図書館と資料館でアルバイトをしていたのでなかなかお目見えできない資料をひっぱりだしてきたり姉妹都市委員会から写真パネルをお借りしたり。今思い返すと青かったなと思うのですが、その時は英語も当時はままならないのによくがんばったなと思います。
いろいろな反応はありました。まずは知らない方々がほとんどだったのでショッキングだった方。写真が衝撃すぎて見たくないという方。勇気あるねーと声かけてくれた方。あらためて歴史を深く学びたいといってくれた方。なによりも、こういった展示を認めてくれた大学側のそして教授たちの寛容さにおどろきました。なんとリベラルなんだろうと。 (つづく)